屋上フェンスを越えて






「雲雀、雲雀、雲雀、俺はアンタのこと好きだけど、アンタは別に俺のこと好きにならなくてもいいよ」

そんなこと言われたら、余計にきみを好きになりそうで怖いじゃないか。
















きみが屋上フェンス越しに笑って、飛び降りた。

ひどい悪夢。

目覚めると視界いっぱいに広がる青空。必要以上にプレッシャーを与えてくる大空。

「…気持ち悪い」

少し寝汗をかいたようで、こめかみの辺りが冷たかった。冬を抜いて春を追う風は、それをひやりと乾かしていく。
起き上がってみれば目の前には、夢に出てきた不愉快なフェンス。
屋上で昼寝なんてしなければよかったと、僕は不機嫌にコンクリートの床を蹴る。


学校で一番天国に近い場所。
不気味なフェンスで覆われた、仮初の安全地帯。
山本武、きみはあの鉄柵を乗り越えて、一体何を見たんだろう。

網目に指を絡ませると、やはりそれは氷のように冷たく、僕の神経を刺激した。
眼下に広がる埃りっぽいグラウンドでは、生徒たちがごみ屑のように風に乗って戯れている。
その中に一つ、こちらを見ているごみを見つけた。
山本が、にっこりといつもの笑顔で僕を見上げている。硝子玉の瞳の奥では、僕には計り知れないような感情を抱えているのかもしれない。このフェンスを越えた男。
あんまりに遠かったけれど、何となく目が合っている気がして逸らせなかった。
山本が手を振ってくる。こっちに来いと手招いてくる。

僕は無意識にフェンスに足をかけそうになったが、不意に何を思いついたのか、彼がその手を下ろしてしまった。


『こっちに来るなよ』


口の形が、そう言っていた。




このフェンスを越えて、狂気の渦に飛び込んだ、きみはもう僕とは違う次元に生きているのかもしれない。
フェンスのこちらとむこうでは、見える世界が違うのだろう。



僕にはまだ越えられない。

冷たい網が手を凍らせる。











「雲雀」

いつの間にか彼は僕の視界から姿を消していた。代わりに響くその声は、背筋に冷たいものを流し込む。
ゆっくりと振り向くと、彼がやはり笑って立っていた。

「俺が来たから、もういいよ」

自然と一歩後ずさると、ガチャリと背中が鉄柵にぶつかった。まるで動物園の猛獣小屋に、閉じ込められたような音だった。

「・・・それとも降りてきたかったのか?」

彼が困ったように眉を寄せて、口角をあげる。僕もたまらなくなり、眉間に力がはいる。どうせ選ばせる気もないくせに、そんなこと言わないでほしかった。





屋上、そのフェンスを越えて、狂気は隙間から、流れ出してくる。














「こっちに来るなよ」


そう笑って僕を見る目は、まるで子どもをあやす様で、癇に障った。
今にもそのまま宙に身を投げてしまいそうで、僕は気が気じゃなかったけれど、顔に出して慌ててて見せる勇気もなくて、ただ不機嫌に目を細める。
山本が楽しげに手を振っていた。
彼が身を投げるその瞬間、僕の目には全てがゆっくり映って、柄にもなく驚いてしまった。
そのフェンスを掴むと、指と指の間に激痛が走る。
僕には越えられないと、笑っていたのだろうか。



きみが屋上フェンス越しに笑って、飛び降りた。



ひどい悪夢。



THE END