傀儡






僕の手が冷たかったのが、そもそもの原因かも知れない。



















僕は戦うのが好きだった。僕の与える一打で誰もが呻く。そのくぐもった声を耳にするだけで、どうしようもなくワクワクした。自分が絶対的に相手より優位に立っている証拠が、欲しくて仕方なかったのかもしれない。
だからイタリアで殺し屋をやらないかと誘われた時も。特に深く考えずについて行った。殺しなんて今までよりちょっと必要以上に殴ればいいだけの話でしょ。少なくてもあの頃はそう思ってた。




僕が海を渡ると決まって間もなく、山本も同行することになったと知らされた。どうやら彼も未来の殺し屋らしかった。




山本は、頭のおかしい奴だった。気違いだ。よくわからないが、僕に関わろうとしてくる。
彼はいつも恥ずかしげもなく僕のことを好きだと言う。でも僕は別にどうでもいいから放っておく。山本が僕を追いかけてくる。滅多にかまってやらない。その繰り返しはまるでいつまで続くのか。















「お願いだから、手だけでいい、握らして」





















イタリアへ行き前夜、僕は僕の応接室に別れを告げに並盛中にいた。そして山本は当然のごとくそれを知っていて、僕に会いに来てそう言った。






いまにも擦れて消えてしまいそうな彼の影を見詰め、僕は息を呑んだ。






僕が返事を決めあぐねて黙っていると、都合のいいことにそれを肯定と取ったんだろう彼が、足跡を殺すようにして傍に寄ってきた。僕はまるで金縛りにあったように逃げられなかった。

山本は恐れる恐れる僕の手を取る。滑稽なほど汗ばんだ指先が、熱っぽく震えていた。
僕の右手をそっとその大きな両手で包み彼ははっとしたように呟いたのだ。









「冷たい」












僕はまるで金縛りにあったかのように彼に手を預けてなすがままにしていた。山本がそっと、僕の影を踏みしめていたからかもしれない。

世界の真理でも見つけてしまった子どものように、そう一言呟いて、自分の頬に僕の手を当てる。

ほんの少しだけ油っぽくて汗ばんだ、気持ちの悪い頬だった。










自分がイタリアで始めて人を殺したときのことは、意外なほど記憶にない。

しかし不思議なことに、山本が殺し屋になった夜のことは覚えている。

まるで冗談のような一面の血の海の中、彼は立っていた。




その日も確か月が出ていたんだ。御伽噺みたいな月が、僕らを見下して。

山本は、あの刃で、肉を斬り、人間の命を奪った。彼の目は、昔からいつも硝子球みたいで、どうも僕には怖くてしかたなかったのだ。

「…おめでとう、これできみも正真正銘殺し屋の仲間入りだ」


山本武は無言で、ただ赤い海に立ち尽くしていた。どこを見ているかもわからない。

僕は俄に背筋が凍るのを感じてぎゅっと強く自らを抱きしめた。

「…………さぁ、帰るよ」

そう促したときだった。













ザクッ













呼吸音すら消えた部屋に、もう一度、何かを斬る音が響いた。







山本が、死体の首を切断していたのだ。










僕は、一体何が起こったのか、うまく理解することができずに、ただ阿呆のように口をあけて、彼が切った首を部屋の隅へ投げ飛ばすのを見ていた。そう、僕の傍へ。


首が僕の体に当たって、落ちる。悲鳴も出ない。ころころころと、まるで鞠か何かのように楽しげに転がっていった。




山本は、何も言わずに赤く染まった刀を脇へ置くと、首を切り落とした男の死体のズボンを脱がせ始めた。










そのとき逃げ出してしまえばよかったと、今でも後悔する。
















「…っあ…あぁ……雲雀ィ…雲雀…雲雀…」









布ずれの音と、肉と肉のぶつかり合う規則的な音楽、そして何度も僕の名前を呼ぶ山本の切なげな声が、月光の中僕の視界の全てだった。



「っ!あぁ…いいよ…雲雀…すごく締まる…雲雀…雲雀…はじめてなのか…??」

首のない死体を獣のように犯しながら、山本は僕の名を口にする。愛おしそうにその肉塊に欲望を打ちつけ、恍惚とした表情で血に濡れた肌に唇を這わせて。




ただ僕は、目をそらすことも、逃げることもできず、瞳が乾くのも忘れてその光景に吸い込まれていた。


「雲雀!雲雀!……っああ雲雀!!!……ハァ…ァ」


彼は一際物悲しげに鳴いたかと思うと、その規則的な運動をやめた。想像もしたくなかったが、死体の中で達したのだろう。





僕は何と声をかけたらいいのか、いやそもそも声をかけるべきなのかわからず、金魚が餌を欲しがるように、何度も口を開けては閉じた。


そうして結局声が出せないでいると、荒い息の中彼が死体の手を自らの頬にあてて呟いたのだ。



















「あぁ…冷たい。やっぱり雲雀だ」































僕の手が冷たかったのが、そもそもの原因かも知れない。











意識を失いそうになる自分を必死で抑え、僕はそう結論付ける。





いや、そう結論付けたかったのだ。































月がゆっくりと雲に隠れる。

















































闇が支配しはじめた部屋の中、彼が僕を見て、笑った気がした。
THE END