中学事情


(B)―鈴虫―











2日ぶりの学校はやっぱりいつも通り蒸し暑くて、菊丸英二は無暗に元気で、あの夜の鈴虫なんてもうきっと死んでしまったんだろう。








「ねぇエェジィ〜?」
「にゃにぃ〜フジィ〜?」
僕らはこんなお日様がギラギラいってる夏の日の真昼間にかかわらず、屋上でフェンスによしかかりながらお昼を食べていた。僕は昼休みの残り時間をチェックしながらエージに話しかけた。
本日購買部で買った牛乳は、いつもより余計ぬるい気がしてちょっとヤだった。
「この間さぁ、鈴虫の声聞いちゃったさぁ〜」
エージはコーヒー牛乳を飲むのをいったん止め、僕のおでこに手をあてた。
「大丈夫?不二。まだ熱あるんじゃない?」
「喧嘩売ってる?」
心配そうな顔で聞いてくるエージにニッコリ大サービスで脅しをかける。まぁ、心配してもらうのは嬉しいけどね。
エージは僕のおでこから手を放し、一口コーヒー牛乳を飲むと呆れ半分と言った顔で僕を見た。
「だってまだ夏休みにもなってないじゃん。蝉の声とゴッチャになったんじゃないのぉ?」
「やっぱそうかな?僕も実はそう思ってたんだけどさ」
でもやっぱり秋の訪れとかちょっと期待しちゃうじゃん。こう暑いとさ。鈴虫でもコオロギでもいいから、さっさと涼しくなんないもんかな?
「そうそー、それよりそろそろ昼休み終わるぞぉー」
そう言って彼はコーヒー牛乳を飲み干した。僕もつられて手に持ったままだった牛乳を一気に飲み干した。やっぱりぬるい。
「さっ、立って立ってっ!」
エージはさっさと立ちあがると僕へ手をさしの出してくれた。僕よりほんの少し大きな手。少し僕より色が黒いかもしれない。彼の手は、まだ大きかった。手塚の手は僕より全然大きくて・・・・・あのゴツゴツした長い指が脳裏にクッキリ浮かぶ。
「不二?ほらっ!」
エージが僕の名前を呼んだ。ぐっと手を掴まれて力任せに引っ張られた。ビックリしたけど顔には出さないようにした。僕はそうしてエージに何時の間にか立たせてもらっていた。そしてそのまま、エージは僕を引っ張って歩き出した。
「エージワケわかんないよ」
引っ張り上げられてビックリしてしまったのとなんか恥ずかしいと言うか照れくさいので僕は思わず意味不明なことを口走り、笑ってしまった。だってまさかここでエージに女のコみたいな扱い受けるとは思わなかったって。
「ナニソレ?不二程じゃないって!」
つられたように笑うエージがもっとワケわかんないこと言い出したけど、僕はそんなにワケわかんないヤツかなぁなんて特に考えなかった。でもそのかわり違うことが目に付いて、また僕はクスクス笑ってしまった。
「てゆーか、このまま廊下歩いて教室行ったらなぁんかヘンな誤解とかされそうなんだけどぉ?」
そう言って僕の手をつかんだままのエージの右手に視線を移す。男同士仲良く手ぇつないで校内を闊歩するのはどんなもんだろうと。まぁ、女子同士とかなら可愛げがあると言うか華があるもんだけど・・・・。中2の健全な少年2人が堂々と手をつないで真昼間から歩いて良いものなのか微妙だよなぁ・・・・。
けれどもエージは僕の考えをハンマーで思いっきり打ち砕くような発言をしてくれた。
「いいんじゃない別にぃ?俺ららぶらぶだしぃ〜?」
勿論今のはウソだけど、バカなこと言いながら悪戯っぽくウィンクする菊丸英二を見ていると、こっちまでそんなことどうでもいいような楽しい気分になる。あぁ、やっぱエージといると飽きないなぁ。こんな友達とか見つけられて僕って実は幸せモノかな?
「まぁ、コレはコレで面白いかもね」
そして僕らは笑いながら屋上を後にした。





教室に帰ると思った通りクラスメイトからは面白い反応がたくさん頂けた。「ホモ〜」とか「お前等できてたのかぁ〜!!?」とか、女子からは「ショックゥ〜!」って言う声も微妙に聞こえた。どれもこれも冗談だけどそれがまた可笑しくて少し悪ノリしそうになっちゃうよ。まぁ、エージのこと好きだから別にマジだと思われても良かったんだけどね。好きだと言っても友達としてだけど。嫌いな相手とのことで噂とかされるより100万倍マシでしょ。エージも楽しいこと大好きだしねぇ。やっぱ冗談で盛り上がれる友達ってイイね。
そんなバカなことやってて気付かなかったけど、フと見ると黒板には大きめに《自習》の文字があった。
「ラッキー♪」
ラッキーってか・・・・そうとも言うけどさ。僕は、授業嫌いじゃないんだよね。別に。まぁ、エージは嫌いみたいだからメチャメチャ嬉しいんだろうけどね。
「菊丸君!不二君!4人でなんか話さない?」
カワイコブリッコ的な黄色い声が聞こえて、僕はそちらの方を見た。どうやらクラスの女子が2人ほど、僕とエージに話しかけたらしい。
「別にイイケドーなんの話しすんのぉー?」
あぁ!もぉエージッ!!なんでそんな安請け合いすんのさっ!!どうせ話すことないじゃんっ!!断れよっ!!女子ってめんどくさいんだよなぁーちょっと。
「恋バナしよーよ!」
そんなとんでもない話題をふってきたのは、最初に僕らに声をかけてきた方の女子だった。カワイイと言えばカワイイから実は結構男子にモテルコなんだけど、例のごとく僕は別に彼女に興味ないんだなぁ。
「2人とも好きな人とかいないのぉ?」
訊くなよってカンジだ。こっちのコは別にカワイイわけでもなく、ハッキリ言ってピーチクパーチクウルサイので、僕はさっきのコよりもどちらかと言うとこっちのコの方が苦手だ。
「俺の好きな人ぉ〜?やっぱ不二でしょー!!」
そう言って英二が僕に抱き着いてきた。やめてくれ暑いから。
「僕もエージが好きだよぉー!!」
かるぅく笑いながら僕も英二の冗談に付き合ってみる。確かにくっついてるのは暑苦しいけど、女子にコレ以上突っ込ませないためには少々のリスクは我慢しなければならない。
「えぇ〜でもぉ〜不二君こないだの校内新聞のインタビューに好きな人いるって書いてたじゃん、まさか菊丸君じゃないでしょ?」
やるなピーチクパーチク女。伊達に今までウルサイ女で通ってきてないってことかよ。つーかなんで校内新聞そんなに真剣に読んでてしかも内容覚えてるんだよ。いや、それ以前にもうあのインタビューの記事載んだ。僕、風邪であの次の日休んだから裕太に持ってってもらったんだっけ・・・・・。
「あっ!そー言えばぁ書いてあったね!ねぇねぇ誰ぇ?」
ホント、誰って・・・・・。僕が訊きたいよ。なんであん時あんなこと書いたんだろ?てゆーか僕『いない』って書いたはずだったんだけど・・・・・。なぁんか理科室で倒れた後からしばらくの記憶が曖昧なんだよなぁ。たぶん熱のせいだと思うんだけど・・・・・。




ホント、僕の好きな人ってダレだろう・・・・・?




英二が横目で「誰だよ」って訴えてる。気付かないフリは少しだけ心が痛んだ。
「それよりこんな話題ふってくるくらいだから2人とも好きな人いるんでしょ?」
これ以上僕の好きな人の話しは続かせちゃいけないと、僕は興味津々といった目つきで僕を見ている2人の女子に訊いてみた。別にこの2人の好きな人に興味があるとかそんなんじゃ全然ないけど、今はこれが1番無難な逃げ道だ。英二は・・・・・・あとでなんとかしよう。
「え〜好きな人ぉ〜?私はいないけどぉ〜ねぇ〜?」
意味深な口調でピーチクパーチク女がもう1人のコを見た。どうやらこっちのコには好きな人がいる模様。
「えっ?マジマジ?ダレー?」
英二がさっき僕を見ていた恨めしい顔を一変させて楽しそうに彼女を問い詰めている。どうやら英二はこういう話も結構イケル口のようだ。
「えぇ〜絶対ナイショね、あのね、・・・・・・・手塚君」






まるで氷が血管を流れているような感覚がした。






「あ〜もぉ絶対ムリとか思ったでしょ!!?」
恥ずかしそうに言う彼女。女のコってだけでかわいくあれるんだからズルイ。
「思ってないってっ!・・・手塚かぁ〜あいつも隅に置けないねぇ〜」
英二は楽しそうに笑ってる。彼女と手塚を本気で応援する気なんだろうか?
「ねぇねぇ不二君?不二君はどう?不二君も応援してくれる?私、ムリじゃないかなぁ?」
そんな訊き方されたら、ほとんど答えなんて決まってるじゃん。
でも仕方ないよね、そういうもんだもん。笑いたくもなくたって笑わなきゃいけないし、僕はもうそのことに慣れてしまってるもんね。
たとえ心臓のあたりが鈍く痛んでいたとしても、または指先が体温をなくしてきていたって――――――――






「モチロン。頑張ってね」

絶対ムリ






矢の様に放課後はやってきた。部活も、休んでたわりになんとかなった。
でもただ少し、何かが胸の辺りにつっかえててモヤモヤした。




「じゃあ、また明日ね」
エージに手を振り別れると、その先は家まで1人。男だし、暗いから危ないってことはないだろうし、この静かな道にももう慣れてる。オレンジの街頭の明かりの下を1人で歩くのは、ホントのとこ結構好きなんだよね。落ちつくし、考えごとしながら歩くんだけど・・・・秋になると鈴虫の声がするんだ。それが風流で秋って好きなのかも。
それにしても、この間確かに聞いた鈴虫の鳴き声。やっぱり僕が風邪でボケてたせいで聞いてしまった幻聴なのかな・・・・。
どちらにしよ、鈴虫に夏は酷過ぎる。特に太陽の下は、鈴虫には似合わな過ぎてバカみたいだ。












真夏の太陽は、どうやら鈴虫だけでなく僕にも有害のようだ。
午前中から走りっぱなしで、ハッキリ言って足はガクガクだし汗は引かないしノドはヒリヒリ言うし病み上がりだから頭もなんとなく傷むしサイアクの体調だった。
でもなんとか僕が午後も頑張ろうと思えたのは、やっと・・・・ホントにやっと昼の休憩がやってきたらだ。
僕は食欲なかったし、ヘトヘトに疲れてたから近くの誰もいない校舎の陰に座りこんだ。ココは結構穴場で、他の部員はほとんどやってこないしなかなか涼しいんだなぁ〜。

頭を壁に預けて、目を閉じてそのままボーっとしてみる。それだけで疲れが少し癒される気がした。汗は相変わらずで、前が額に貼りつく感触が少し不快だったけど。
蝉の声が耳に焼きつく。脳みそに染み渡るような響き。こうやっていると、ここが街のど真ん中だってことが嘘に思えてくる。そう、まるで墓参りにやってきた山中のような錯覚に陥る。まるで蝉に包まれているよな・・・・。
薄く目を開けると、菱形にゆれる影が飛び込んできた。風でクスリクスリ音を立てる葉っぱのあいだから、眩しい太陽光線が僕を刺す。その細い熱さえ、熱く感じる今の自分が無性にやるせない。やっぱり僕には夏の日の下が似合わないなって感じた。これじゃあ僕も鈴虫のように、死んでしまうのも時間の問題かもしれない。

「何をしている?」

一瞬ギクリと体が強張った。聞き覚えがさしてあるわけじゃないけど、なかなか忘れられない印象的な声だった。
手塚国光。
眼鏡の奥の目がいつも通り不機嫌そうだ。
彼とは同じ部活で今まで過ごしていたけど、あんまり話したかともなくて別にそんなに親しいわけじゃない。クラスも違ったし、手塚自身周りに友好的と言うわけじゃなかったし、わざわざ話しかけることもなかったからな。全く興味がないわけじゃなかったけど、機会がなかった。今までは・・・・・・。
「昼食は取ったのか?」
「うん。もう食べたよ」
僕は思わず嘘をついた。この男の冷たいしゃべり方が、どうも苦手なんだ。話しかけられるだけで、怖くなる。逆らってはいけないような気がするんだ。

どちらも何も言わなかった。

きっと手塚は僕の言ったことが嘘だって気付いてるだろうと確信があった。それでも彼は何も言わずに、じっとこちらを見ているだけだった。「バテたいのなら勝手にしろ」とでも言いたいんだろうか?この男が何を考えているのか、今の僕じゃほとんどわからない。でも頼むからその目で見ないでくれ。僕はその目が苦手でしょうがない。その睨むような目が怖くてしょうがない。こちらも目を話せなくなるから・・・・・。



蝉の声しか聞こえませんでした。



どのくらい時間が過ぎたのか、僕の狂った感覚じゃ正確にはわからない。それでもしばらくそのままだった。
その沈黙を破ったのは僕じゃなかった。

「この間は大変だったな」
彼の意外な言葉にもしかしたら目を丸くしていたかもしれない。この間と言うのは、理科室での一件のことか。そういえばあの時、手塚がいたんだ。
手塚がイキナリ僕の方へ近づいてきた。ドキリとしたけれど、顔に出さないようにして僕はその様子を目で追った。ほとんどすぐ傍まで来て彼が屈みこんで僕に目線を合わせた。近くで見ると彼の顔がずっと綺麗に見えた。


まるで僕にはさっきの細い日の光のように、眩しく思えた。


このまま死んでしまうかも知れない。確かにそんな考えが頭をよぎった。
「あまり無理はするなよ」
そう言って彼は僕の額に手をあて熱を計ったようだったけれど、僕はそのとき確かに聞いてしまった。




鈴虫の声を



蝉のけたたましい声に混ざり、か細く消えるような鈴虫の声を。
僕は確かに聞いた。一声鳴いて、それだけだったけど・・・・・真夏に鈴虫の鳴き声を僕は聞いてしまった。
この焼けるような太陽の下で生きる不思議な鈴虫。もしもそれが可能ならば、僕もこの男の隣にいれるだろうか?





全身に何か寒いものが走った。





手塚の手が僕の額から離される瞬間、彼の大きな手が視界に飛び込んできた。ゴツゴツとしていて長い指が、たまらなく綺麗に見えた。目が離せなかった。いつもより、脈がずっと速くなっている。トクトクトクトクと、恥ずかしいくらいに大きな音で。
次の瞬間、さりげなく手塚と目が合った。その時僕は、「もしかしたらこの男を好きかも知れない」と感じた。
男だとか女だとかそんなこと全てどうでもよくなるくらいに、手塚国光のことを好きになってしまいそうな気がした。
たとえ誰かを傷付けたって。
もしくは自分の身を滅ぶすことになったとしても・・・・・
きっと今更、どうしようもない想いなんだろう。






真夏に鈴虫 キミの傍に僕
ありえないと思うだろうか?幻覚だと言われるだろうか?
それでも信じようとするのはやはり滑稽だろうか?






手塚が立ちあがって僕に背を向ける。さっきやってきた道を戻ろうと歩き出す。その広い背中で、何か語ってくれたらいのに。
「そろそろ午後の練習が始まるはずだ。お前も・・・・」
「ねぇ」
喋る彼をさえぎり僕が声を出す。そんな事務的連絡は、してくれなくてもわかってる。蝉の声が2人を包んでいる。
「うちのクラスにキミのこと好きなコがいるんだけど・・・・」
顔に出る。不敵な笑みか・・・・もしくは悪魔的な笑顔かもしれないけど・・・・・・僕は今きっと世界一いやらしい笑いを浮かべて喋ってる。それだけは自覚があった。
「でもキミは今テニスのことで忙しいからそれどころじゃないよね?」
ホントに僕って正確悪い。こう言う訊き方されたら普通違うなんて言えないから。

「当たり前だ」

これで手塚は彼女を振るしかなくなっただろう。この男はきっと、嘘はつけないタイプだ。思わずニヤリと笑ってしまった。ワザワザそれを隠さなかった。もう、手塚には僕の悪いところもいくつか見られてるから・・・・開き直ってしまえる。
この手段はとても卑怯で、最低の行いかもしれない。彼女を傷付けたのは、絶対と言ってしまえる。けど僕はこんなことしてまで自分が大切なんだよ。悪魔になったって、キミを誰かのものにしたくないんだ。


こんな汚い感情、前まで知らなかった。
こんな毒々しい想いは、本当なら欲しくない。


手塚がもう1度歩きだして、遠ざかっていく。
「とにかく、お前も集合に遅れないように」
見えなくなった彼を考えると、胸が少し苦しくなった。
だけどそれ以上に、何故だか胸がとても痛かった。
絞めつけるようなその傷みの原因が、僕には心当たりがあって辛かった。
気を抜いたら泣いてしまうかも知れないと思った。
それでもズキズキと僕を刺す太陽は、さっきと何にも変わってなかった。
首の後ろに汗が滲む。
ジャージのポケットでは、返し忘れてた理科室の鍵がヂャラっと冷たい音をたてて僕ははっとした。
蝉の音がさっきより一層強く耳に届く。














夏休みまでもう少し。僕になにかが起こる気がした。








モドルヨ!