ジェラード




雲雀はイタリアに来てから食の好みが変わった。それは環境適応能力と言ってしまえばそれまでだったが、そんなものよりも余程可愛らしいと山本は思っていた。
「ヒバリはほんと、美味しそうに食べるよな」
賑やかな街角にあるイタリアンジェラードショップのテラスで、黒いスーツに身を包んだ男が二人、向かい合って座っている。
真昼間なら太陽の光の中で不自然に浮き立ってしまいそうなそんな光景も、夕闇の迫る今の時間帯では、言葉にするほど滑稽でもなかった。
「そんなこと、今まで言われたことないよ」
不恰好に塗り固められたジェラードからは、ココナッツの香りが漂っていた。
雲雀は山本を莫迦にしたように小さく笑って、気にも留めずにそれを口に入れる。
「そう?でも俺はヒバリが食べ物食べてるの見るの好き。なんか安心する」
「何、それ」
見るからに甘ったるいのに、それでも爽やかな冷気を発しているジェラードは雲雀の不適な唇に触れた途端溶けて、消える。
山本はただ頬杖をついて雲雀を見詰めているだけで、自分自身は何も注文したりはしないのだ。
一口一口、ゆっくりと甘味を口に運ぶ雲雀の顔は、誰が見たところでこれと言って嬉しそうでも、楽しそうでもなかった。むしろそれならば、そんなジェラードを食べる雲雀を見ている山本の方が、余程幸福そうに映る。
「俺にはわかるんだ。あ、今ちょっと歯に染みたな、とか。そんなヒバリの考えてることが」
「別に染みてない」
ほぼ毎日空いた時間を見つけては、足蹴なくジェラードショップに通う雲雀にくっついて、山本もここの店の常連となった。勿論、本人がジェラードを注文したことはないが。
「はははっヒバリは虫歯ないのなー」
さして相手の言葉を気にした様子もなく、山本が陽気な空笑いをしてみせる。雲雀は不機嫌な面持ちでそんな目の前の男に、半分ほどの量になった手の中のジェラードをずいと押し付けた。
「きみはあれだね、わかってないよね」
「ヒバリはいっつもこんぐらい残して俺に寄越すよな」
唇に残る甘い蜜の跡を舌で舐め取る、そんな雲雀の動作が妙に色っぽくて、山本は思わず身を乗り出してその妖艶な器官に己のそれを絡めようとした。けれど雲雀はそれを見越していたのかいないのか、すっと自然に体を後ろに引いて無言で山本を拒絶する。
「勿体ない」
思惑通りいかなかった山本は、軽い調子で肩をすくめると、雲雀に押し付けられたジェラードを口に含んだ。溶けかけたそれは、むしろ甘い水のようにも思える。
「どうしていっつも半分残すんだ?飽きんの?」
雲雀の顔を覗き込むように見上げて、山本は首をかしげた。もういい大人の男がやってもちっとも可愛らしくはなかったけれど。
「全然。まだ飽きちゃいないよ」
自分を見詰めてくる山本から、ツンと視線を逸らしたまま、暗くなっていく街角に目をやる。雲雀の目線の先では、もうとっくに夜のランプが灯っていた。
「じゃあなんで?」
「ほんときみは、何にもわかっちゃいないよね…」
いつにも増して質問のくどい山本に、ようやく向けられた雲雀の視線は、面倒臭そうではあったけれど、どこか楽しげに煌いていた。
「飽きる前に手放しちゃった方がいいに決まってるだろ。何だって、さ」
「ふーん…」
素直な答えを知った瞬間興味を失ってしまったのか。山本はそんな風な相槌をすると、掻き込む様な乱暴さで、上品なジェラードを飲み干した。
街のいたるところでは、人の手によって灯された明かりが、まるで星のように発光しはじめている。そんな、日常風景。